研究会 運用技術 無線技術

2021年11月4日開催の電子情報通信学会スマート無線研究会にてソフトウェア無線によるアナログFM放送マルチパスフィルタの実装について発表をしました

研究会 運用技術 無線技術

ペパボ研究所客員研究員の力武健次(りきたけ・けんじ、@jj1bdx)です。2021年11月4日と5日両日に開催された電子情報通信学会スマート無線研究会(以下「SR研究会」)で、ペパボ研究所として「ソフトウェア無線によるアナログFM放送マルチパスフィルタの実装」についての発表を行いました。その内容を論文(研究会予稿)と発表スライドと共に紹介します。

FM放送とマルチパス低減の歴史

アナログFM放送(以下「FM放送」)は日本では1969年より本放送が始まった歴史のある技術であり、当初は高品質な音楽の伝送を目的に運用が始められました。現在は災害時の情報伝達を含め日々の生活に密着した幅広い用途で使われています。また、日本では2014年より中波放送の受信品質改善を目的としたFM補完放送が始まり、本年2021年6月には中波の民間放送局47局のうち44局が2028年までにFM放送局への転換を目指す旨の発表が行われました[1]。普及しているポッドキャストのサービスの多くが.fmというトップレベルドメイン名を使っていることから見ても、FM放送はラジオ放送の中で今最も親しまれている技術の1つといえるでしょう。

FM放送には開発当初から改善が難しいとされている問題がありました。それは電波が送信アンテナから受信機までの間に届く間にいくつもの建物などで反射するため本来の直接波と複数の反射波が干渉してしまい、受信品質が低下する「マルチパス」という現象が起きることです。マルチパスは受信音にスパイク状の波形歪みを引き起こすため、聴感上非常に耳ざわりな音になります。このマルチパスを除去するには指向性のあるアンテナを使うなどの方法が過去提案されてきましたが、波長が3m〜4mとなるFM放送の電波ではアンテナが大きくなるなどの問題があり、ポータブルラジオなどで簡単に実施できるものではありませんでした。

適応フィルタのマルチパス低減への応用とそのオープンソース化

1980年代に入りデジタル技術による適応フィルタを作ることが容易になり、マルチパス低減への応用研究も進められました。FM放送のFMという名前の由来になっている周波数変調方式では、送信アンテナでは電波の大きさ(振幅)が一定という特徴があります。マルチパスによる影響を受けるとこの振幅が反射波の干渉で変化してしまうため歪みが起こります。仮に反射波による干渉を取り除くためのフィルタを作り、このフィルタの特性を変えることで振幅を一定に近づけることができれば、受信品質の改善ができます。このような手法で受信品質の改善ができることが1983年のTreichlerとAgeeによる論文[2]で示されました。この手法をConstant Modulus Algorithm (CMA)といいます。2021年10月現在、CMAを実装したFM放送受信機は筆者の調査ではいくつか存在しますが、どれもハードウェアに依存しており、オープンソース実装になっているものは確認できていません。

2019年から筆者はFM放送受信をソフトウェア無線(SDR)でより高品質に行う上での研究開発を続けてきました。昨年2020年9月のペパ研ブログの記事でもその研究概要を紹介しています。今回の発表では研究報告とする上で、あらためて筆者の開発したオープンソースSDR実装であるairspy-fmradionでのCMAを使ったFMマルチパス除去性能の定量的な再評価を行いました。airspy-fmradionではあらかじめSDRフロントエンドから収録しておいた受信信号に対する再生が可能なため、同じ受信信号に対してマルチパスフィルタで処理可能な最大遅延時間を決める段数を変えながら評価結果を見ていくという手法を使いました。

評価結果

今回の評価では東京都世田谷区にある筆者の自宅から東京スカイツリーから送信しているNHK東京FM放送(82.5MHz)と東京タワーから送信しているInterFM東京(89.7MHz)の信号を受信し評価を行いました。NHK東京FM放送の時報の880Hz正弦波音では、雑音歪み率(THD+N)を1.22%から0.33%まで低減することができました。主観的評価でも0.6%以上の歪率は耳で聞いてわかるとされており、これを下回る値に抑えることができたことは一定の成果が得られたと筆者は考えています。また、THD+Nとは違うQuadrature Multipath Monitor(QMM)[3]というステレオ放送の歪み成分を抽出できる信号の大きさについても、同様の評価結果が得られました。

本発表および本研究の意義は以下の3点にあると筆者は考えています。

  1. 1980年代にシミュレーションベースでのみ示されていたマルチパスフィルタの設計手法について、実際の電波とSDR受信機を使いその有効性を示した。
  2. FMマルチパスフィルタの実装はRaspberry PiやIntel NUCなど一般に入手可能なコンピュータで問題なく行えることを示した。
  3. CMAの実装をオープンソースで行うことにより広く利用できるものとした。

研究会予稿

スライド

発表を終えて

無線通信の専門家の人達であるSR研究会で、FM放送といういささか古いテーマを受け入れていただけるかどうか発表前には一抹の不安がありました。しかし実際に発表後の質疑では同研究会の皆様から活発に質問をいただき、好意的に受け入れていただいたことに感謝しています。

本研究は筆者の個人的興味から始まったものですが、結果として適応フィルタという筆者にとっての新分野またペパボ研究所の目指す「なめらかなシステム」の実現技術の1つを学び、かつ実際の応用での成果を出すことができました。本研究および発表にあたっては、ペパボ研究所の皆さんの継続的な支援をいただきました。ここに感謝の意を表します。

参考文献

  • [1] 田中 正晴,「民放AMラジオ44局が2028年秋までにFM化へ、在京3局はAM停波も目指す」,日経クロステック,2021年6月15日,https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/10607/,2021年11月10日参照
  • [2] J. Treichler and B. Agee, “A new approach to multipath correction of constant modulus signals,” IEEE Transactions on Acoustics, Speech, and Signal Processing, vol.31, no.2, pp.459–472, 1983. DOI: 10.1109/TASSP.1983.1164062
  • [3] B. Beezley, “Quadrature Multipath Monitor”, http://www.ham-radio.com/k6sti/qmm.htm, 2021年11月10日参照

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